水原秋櫻子・・・句碑
2020.04.15
大正~昭和時代の俳人・医学博士
明治25年生まれ。高浜虚子に師事、虚子の主宰する『ホトトギス』
に参加し、昭和初期頃には山口誓子(せいし)、阿波野青畝(せいほ)、
高野素十(すじゅう)とともに名前の頭文字を取って『ホトトギス』の4S
と称されるほど名声を得る。
やがて客観的写生を唱える虚子・素十と作風を巡って対立し、
ホトトギスを離脱・独立し、昭和9年に俳誌『馬酔木(あしび)』
を主宰。五十崎古郷と門弟の石田波郷や若手の俳人達が集い、更に
加藤楸邨、中村草田男なども加わりやがてホトトギスと対抗する
勢力を築く。
産婦人科医で、昭和医専の教授もつとめた。昭和56年死去、88歳。
東京都出身、東京帝大卒。本名は豊。
三豊市詫間町の俳人、森安華石(かせき)が水原先生に高瀬茶を送った
ところこの句を頂いた。県社「大水上神社」入口にこの句碑がある。
【碑文】
「茶どころと きかねど新茶 たぐいなし」 水原秋櫻子
「新茶佳し 大水上の霧こめて」 山口誓子